「大阪伝承地誌集成」にて、平野区の項で以下の記述がありました。
綿だま狸
光源寺の裏側の大きな銀杏に、狸が棲んでいた。
夜、通りがかると大きな綿だまが転がっている。
ひゃあ、もったいない、誰が落としたんやろと拾いにいくと、ふわふわと転がる。
待てと追いかけているうちに、ドボンと溝に落ちてぬれねずみになる。
銀杏の上からゲラゲラ笑う声が聞こえたそうだ。
何度も続くので銀杏の下に小さい祠を建て、わるさせんといてなと頼んだが、木の上から砂をかけてくる。
いつの間にか親子狸になり、子狸までよく人をだましたという。
今回は、ちょっと残念な訪訪になってしまいました。
平野区に足を運んだとき、どのような場所か覘きに行って来ました。
地図を頼りに付近を自転車でうろついて見たのですが、寺らしきものは住宅街の真ん中に見えるのですが、肝心の入り口が分かりません。
目的地と思われる寺のある区画をグルッと一週まわってみて、二箇所ほど看板が上がっていたのが以下の場所です。
寺としてはあるようですが、関係者以外立ち入ることができるようになっていないようです。
特に上の写真の入り口は、幼稚園の入り口としても使われているようで、部外者はまず立ち入ることが出来ません。
これも時代の流れかなと思いますが、妖怪好きには一抹の寂しさを覚えざるを得ません。
帰宅後調べてみたところ、本尊は阿弥陀如来で、もと天台宗の寺院であったのを嘉吉年間(1441~1443年)に浄土真宗に改められたそうです。
第十二世のとき頽敗し二十年ばかりにもなったので、大阪落城後徳川家康が末吉家に命じて復興し、元和四年(1618年)に落成します。
それから時代が下り、昭和に入ってから本道が火災にて焼失し、現本堂が再建されたそうです。
そして昭和二十九年四月より、上の写真の光源寺幼稚園を開園し今日に至っているとのことです。
杭全山 光源寺
大阪市平野区平野本町4-11-5
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今回は、ちょっと残念な訪訪になってしまいました。
平野区に足を運んだとき、どのような場所か覘きに行って来ました。
地図を頼りに付近を自転車でうろついて見たのですが、寺らしきものは住宅街の真ん中に見えるのですが、肝心の入り口が分かりません。
目的地と思われる寺のある区画をグルッと一週まわってみて、二箇所ほど看板が上がっていたのが以下の場所です。
寺としてはあるようですが、関係者以外立ち入ることができるようになっていないようです。
特に上の写真の入り口は、幼稚園の入り口としても使われているようで、部外者はまず立ち入ることが出来ません。
これも時代の流れかなと思いますが、妖怪好きには一抹の寂しさを覚えざるを得ません。
帰宅後調べてみたところ、本尊は阿弥陀如来で、もと天台宗の寺院であったのを嘉吉年間(1441~1443年)に浄土真宗に改められたそうです。
第十二世のとき頽敗し二十年ばかりにもなったので、大阪落城後徳川家康が末吉家に命じて復興し、元和四年(1618年)に落成します。
それから時代が下り、昭和に入ってから本道が火災にて焼失し、現本堂が再建されたそうです。
そして昭和二十九年四月より、上の写真の光源寺幼稚園を開園し今日に至っているとのことです。
杭全山 光源寺
大阪市平野区平野本町4-11-5
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