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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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で、その不可思議な由来を持つ寺宝ですが、その内一つが「亡者の片袖」。
大佛仏寺の公式HPによれば、これに纏わる物語は下記の通り。
箱根権現参拝の巡礼者が山中で摂津住吉の社人松太夫(まつだゆう)の妻の霊に出会い、平野大念佛寺の道和上人に回向をうけられるよう夫に伝言される。
巡礼者は松太夫宅で事の次第を伝え、亡女より証拠にと授けられた片袖と香盒(こうごう)を手渡し、松太夫は上人に回向を願い法要は夜を徹して行われ、お礼に現れた亡女は成仏を告げて消え去るという。
現在もこの松太夫(まつだゆう)の妻の霊から手渡されたという、片袖と香盒が残されています。
もう一つが「亀鉦」。
法明上人が、加古の教信寺への参詣の途中、暴風を鎮めるため、宝物の鉦を海に投げ込むと海が鎮まる。
帰途、亀が頭に鉦を戴き、鉦を返してくれた、という謂れの品物です。
こちらもその現物が今に伝えられています。
そもそもこの鉦は、良忍が融通念仏を広めるにあたり、鳥羽上皇が愛用の手鏡を鉦に鋳直して良忍に授けたという謂れのある鉦だとか。
その後、融通念仏六世の良鎮まで伝えられた後いったん法脈が途絶え、鉦は他の宝物とともに男山の石清水八幡宮に保管されます。
ところが第七世となる摂津の法明(1279年~1349年)が1321年の辛酉の年に宝物を受け取るようにという夢告を受けます。
同時に石清水八幡宮の社人にも夢告があり、両者は途中の交野郡茄子作村で出会い、宝物は渡されたといいます。
昔の人は、亀を異界と考えていた海の彼方と此方を結ぶ動物、またその主人である竜の使いであるという側面でも見ていました。
だから、浦島太郎は亀に乗って竜宮城に行き来しますし、茨木市総持寺の報亀伝承も亀を助けた礼に子供を助けたり、唐から海に流した香木を日本まで運んできたりしてくれるのです。
現地は、大阪市平野区の住宅街の只中にあります。
JR平野駅からでも歩いて5分ほどでしょうか?我が家から自転車でなんとか行ける範囲内です。
(左) 入口。この奥に山門があります。
(右) 年中行事・法要の案内板
25号線から少し入ったところにあります。
とはいえ、25号線沿いに看板も出ているので非常に分かりやすいかと。
案内図と現地案内板
山門とその案内板
本堂
山内にあった「万部おねり」の看板
「万部おねり」とは、大念仏寺の有名な行司で、毎年5月のゴールデンウィークの時期に行われています。
こちらは公式ホームページにその様子の写真と映像がありますので、そちらを閲覧していただく方が分かりやすいでしょう。
大佛仏寺公式ホームページ「万部おねり」
古い寺ですので、山内には「ご神木」が祀られていました。
昔はあまり違和感を感じなかったのですが、考えてみれば日本独特の光景なのでしょう。
日本の宗教史における神仏習合の名残なのでしょうから。