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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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今回のヤマタノオロチ伝承地を駆け足で訪ねた旅も、いよいよ最後となります。
ヤマタノオロチ退治の伝承は、八塩折の酒を飲み、酔いつぶれた大蛇をスサノオが退治し、クシナダ姫とスサノオが結ばれ、めでたしめでたしとなる所で一段落します。
そのスサノオとクシナダ姫が住む土地を探し、「気分がすがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まったのが、最後に紹介する「須我神社」の地であったといわれます。
これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」とも呼ばれています。
またこの地にスサノオが鎮まった時に、美しい雲の立ち昇るのを見て詠んだ歌が、
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」
という有名な歌です。
よってスサノオは荒ぶる神、治水の神といった側面のほか、和歌の神という文化的な側面も持っておられます。
旅の締めくくりに最も相応しい場所かもしれません。
24号線を日本海側へ向かって車を走らせていると、少し離れた地域からでも標識が出ていましたので、目的地である「須我神社」は非常に分かりやすいです。
標識に従って車を向かわせると現地に到着。
どうも黒猫は巡り合わせが悪いのか、伝承地をまわっていると工事中の時に度々出くわしてしまいます。
最も分母となる伝承地もそれなりの数の箇所を回っているので、どうしても出くわすのかもしれませんが。
須我神社の入口も工事中でした。
門の右手を回って境内に入ります。
本殿へいたる石段前にやはりありました歌の碑
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」
拝殿
拝殿前の木箱に筆と色紙が置いてありました。
和歌を奉納される方が多いのでしょう。
恥ずかしながら、そちらの素養はおろか勉強をしたのも中学時分の頃ぐらいですので、せっかくですが和歌を詠みませんでした。
が、帰宅後調べてみると「参拝者は歌を奉納するしきたり」としてある所もあり、無い才を捻くりだしてでも詠んでおくべきだったかなと、少し後悔しています。
このブログを見られて参拝しようという奇特な方は、是非歌を奉納しておいて下さいね。
本殿
既に夕暮れ時ですので、暗い場所は写真に写りにくくなってしまっています。
由緒書き
須我神社由緒
御祭神 須佐之男命
奇稲田比売命
清之湯山主名狭漏彦八島野命
合殿 武御名方命
古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上(ひのかわかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速須佐之男命は宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり ”八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を”の御歌を御詠みになりました。即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。
而うして須佐之男命と奇稲田比売命・御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社・須我山・須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものでありまた須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。
合殿の武御名方命は天文年中統治(淀之荘)地頭として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。
須我神社社務所
他、境内摂末社もいくつか写真に収めてみました。
(左) 境内社・海潮神社社殿
(右) 御仮殿
境内社・御祖神社、社日神社、義綱神社入り口
境内はそれなりに広いのですが、摂末社が点在しており少し寂しい気もします。
また本殿自体も比較的近年に建て直されたものの様で、雰囲気が出るには今しばらくの時間が必要なのかもしれませんね。
最も、訪れたのが小雨もパラついている夕暮れ時でしたので、黒猫が訪ねたときにはそんなにも悪くなかったのですが。
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須我神社
場所:島根県雲南市大東町須賀260
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