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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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島根県のホームページ、神々の国しまね~古事記1300年~スペシャルサイトのしまね神話データフォルダ鳥上滝によると、
ヤマタノオロチが住んでいたとされる、斐伊川の源流。高さ16mの姿は見事。
鳥上滝(とりかみたき)
ヤマタノオロチ伝説において、ヤマタノオロチの住処とされる滝。船通山の中腹にあり、登山ルート・鳥上滝コースの途中で探訪することが可能。
高さ約16mで斐伊川の源流とされ、島根の名水100選に選ばれている清らかな流れは一見の価値があり。
ということです。
ヤマタノオロチの住処、と言うことで前回紹介させていただいた天が淵と矛盾しますが、これは「日本書紀」では天下った後、出雲國の簸(ひ)の川上に到った時に嘆き悲しむ老父母と出会うのに対して、「古事記」では出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現奥出雲町鳥上)に降り立ち、さらにその上流でに嘆き悲しむ老父母と出会ったと描写されているためだと思われます。
つまり出典からして食い違うので、ヤマタノオロチの住処とされる場所が二箇所になってしまうのは已むをえない事なのでしょう。
ただ、平成に語られる他のヤマタノオロチの伝承地(草枕山、八口神社、尾留大明神旧社地、八本杉、壷神:位置関係はリンクの「大阪近郊妖怪・伝承地図」を参照して頂きたく思います)は、川下の方にかたまっています。
こちらの斐伊川源流に近い地域での伝承地はこの鳥上滝と船通山(せんつうざん)山頂にある「雨叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)出顕之地」という記念碑ぐらいであると思われます。
なお、鳥上滝のある「船通山」は「出雲国風土記」には「鳥上山」と称されている山だとの事です。
「鳥上山」が何故「船通山」と称されるようになっていったかという事について、、「風土記抄」には、「横田郷竹崎村と伯耆国安布禮村の堺なり。いわゆる素盞嗚尊、志羅伎国より五十猛命を帥ゐて東せし埴舟此の山に止る。故に俗に船通と日ふ」とありますので、これが語源でしょう。
ちなみに「記紀」では非常に有名なヤマタノオロチですが、地元の史料である「出雲風土記」にはそれに該当する物の怪は登場しません。記述を読み比べて思いを巡らせてみるのも非常に面白いことであると思います。
さて、斐伊川川下から県道314号線車を走らせて、県道107号線に入り「船通山」へと向かいます。
107号線へ入る手前ぐらいから「船通山」へ向かうための標識がでていましたので、非常に分かりやすかったです。
標識に従い107号を走らせ、そこから小さな道へ入って「船通山」を登りだします。
船通山山中は「比婆道後帝釈国定公園」に指定されているようで、道中斐伊川源流の脇にプールなどが設置されており、真夏のさなかでしたので結構家族連れで賑わっていました。
そちらに置かれていた看板
神話の里 鳥上
~オロチ退治の神話~
七一一年に完成した古事記には、オロチ退治の神話が次のように語られています。
「高天原から追放されたスサノオは、出雲の国肥の川上鳥髪(鳥上)の地に降りたった。
川上より箸が流れて来たので訪ねていくと、老いた夫婦が娘をなかにして泣いていた。訳をたずねると、「眼はほおずきのように真っ赤に燃え、八つの頭と尾を持ち、身体の大きさは八つの谷をこえわたるヤマタノオロチが住んでいて、年毎にやってきては娘を喰い、今年は八人目のこの娘の番にあたり、泣き悲しんでいます」とのこと。
スサノオは娘をクシにかえ、自らのみづら(角髪)に隠し、老夫婦に命じ八塩折(八度も発酵を重ねて醸造した強い)の酒をつくらせ、垣根の八ヶ所の門毎に酒船を置き酒をなみなみとつがせた。
やがてオロチが現れ、酒船の酒をつぎつぎと飲み、ついに酔いつぶれて眠ってしまった。このときスサノオは十拳の剣を抜いてオロチに斬りかかり、長い格闘の末オロチを退治した。
オロチの血は肥の川を赤く濁すほどおびただしいものであった。オロチの尾をさいていくと太刀が現れた。スサノオはこの太刀を天照大御神に奉った。これが草薙の剣である。」と。
※日本書紀では、「剣はもとは、「天叢雲剣」といった。」と記しています。
今回の目的地としている鳥上滝には、そこからもう少し登って行かなくてはなりません。
車はここまで。この登山口の近くが広場になっており、ここに駐車します。
ここから徒歩で登る事になります。
黒猫は、船通山に登るのは今回が初めてになります。
少し驚かされたのが、少なくとも船通山登頂ルートのうち鳥上滝ルートと呼ばれる方の登山道には、石畳が敷き詰められていました。
登山経験はお世辞にも豊富とは言い難い黒猫ですが、このような道は初めてです。
まず、これだけの長さの山道に石畳を敷き詰めた労力に驚き感心させられたのですが、歩き始めると、斐伊川源流を縫うように道がある為、石の表面が濡れているところも多く、また岩の上を使って川を渡らなければならない事も多く、非常に足場が悪かったのが印象的でした。
と、いうのも
こんな登山を想定していなかったため、海水浴にいく為のビーチサンダルで出てきた黒猫の自業自得だともいえるのですが;;
ビーチサンダルで石畳の山道を登山するものじゃないな、とつくづく思い知らされましたw
さて、道中石に足を滑らせる事数度、一度はコケル寸前のところを持ち前の運動神経を駆使して踏ん張りながらも、何とか目的地にたどり着きます。
標識には、
→
頂上
45分
←
登山口
20分
鳥上滝
と書かれています。
実際に計っていたわけでは有りませんが、登山口からの体感時間もその程度だったと思います。
鳥上滝の全景
(左) 滝壺にはなっていませんが、滝の下部
(右) 滝を見上げての写真です
滝に気兼ねなく近づく事が出来ますので、道中苦労しましたが、この滝ではビーチサンダルを履いてきて良かったかな、と初めて思いました。
落差16mの滝ということですが、訪れたときたまたま水量が少なかった為か今一つ迫力に欠ける印象があります。
気分は修験者だな、と思いながら崖の一部にふと眼がいきます。
崖の写真中央あたりの壁面に穴が開けられています。
アップにしたものがこちら
望遠にしないと取れないのですが、望遠にするとブレてしまいます;;
そしてブレを最低限に抑えようと露出時間を短くすると、今度は光量不足になってしまいます;;
写真は難しい。
何か刻まれているようにも見えるのですが、ハッキリと判別する事が出来ませんでした。
鳥上滝は、あるいは修験道の行場だったのかも知れないな、考えながら滝を後にしました。
本来であれば、この後頂上を目指して、とも考えていたのですが、
まだ、こんな道が続きそうですし、
・今回はビーチサンダルを履いているため足元が危ない
・鳥上滝に付いたのが16時頃。順調にいっても往復すると車に戻るのが18時頃になってしまう
・日が暮れだすとさらに足元が危ない
・ここまで来る途中でも一人もすれ違わなかったため、怪我をしてもどうしようもない
ということを考え、今回登頂は断念しました。
山中をうろうろするのは好きなのですけどね;;
楽しみは次の機会に譲り、今度は子供連れで登山を楽しむというのも悪くないかもしれません。
さて、この滝の感想ですが、ヤマタノオロチが棲むというには少しこぢんまりとし過ぎているかな、という印象を受けました。
この船通山には古代製鉄の残滓が至る所に見られるそうで、伝承との関連性も興味深いものがあるのですけどね。
船通山登頂ルートには、この鳥上滝ルートと亀石ルートという二通りのルートがあるそうですが、亀石ルートの方は、かつて野だたらで作られた鉄を運ぶのに使用していたルートだそうです。
そちらの方のルートも一度歩いてみたいものですね。
<<関連エントリー>>
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八口神社-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・尾留大明神旧社地-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八本杉-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・印瀬の壷神-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・天が淵-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県仁多郡・鬼神神社-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県雲南市・須我神社-
鳥上滝
場所:島根県仁多郡奥出雲町竹崎
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