ヤマタノオロチの伝承地、四箇所目は印瀬の壷神の紹介です。
ヤマタノオロチ伝承では、大蛇は須佐之男命の用意させた八つの壺に満たされた八塩折の酒を飲み、酔いつぶれたところを命によって退治されてしまいます。
この伝承地には、その八塩折の酒を満たした八つの壷の内の一つが残されているという話です。
斐伊川を遡るように、県道314号線を車で走らせていると、「印瀬の壷神」の標識と案内を見つけることが出来ます。
そしてその案内どおりに、山の中へ5分ほど車を走らせた突き当りに、目的地である「印瀬の壷神」はあります。
駐車スペースから古びた木の鳥居と、その奥へ続く道が見えます。
訪ねたときのように日中であれば兎も角、夜中には訪ねたくないような雰囲気があります。
駐車スペース脇にあった金属製の案内プレート
八俣大蛇伝説由縁の地
壷神
須佐之男命が八俣の大蛇を退治するため、酒を盛らせた八つの壷の一つがあります。
退治する方法は垣をめぐらせ、八つの門を作り、門ごとに佐受岐(浅敷)を結い、その佐受岐に八塩折の酒を盛った壷を置いたその壷です。
鳥居をくぐり、木の階段を登ったその先に「印瀬の壷神」はありました。
振り返ってみるとこんな感じです。
こちらが件の「印瀬の壷神」。右が覗き込んでの写真です。
直ぐ脇に現地案内板もありました。
宗教法人 八口神社 木次町大字西日登1524-1
御祭神 須佐之男命 櫛名田姫命
配祀祭神 国神社(脚名槌命、手名槌命)
八幡宮(誉田別命)
例大祭 十月二十七日
由緒
現存する最古の棟札は宝暦八年修復(一七五八)のものであるが当社の建立年代は不明である。
簸ノ川(斐伊川)の天が淵(湯村地旧)に住む八岐の大蛇は国神である脚名槌、手名槌夫婦の娘を、年毎に一人ずつ奪った今年はついに八人目の末娘、稲田姫が奪われようとしていると泣き悲しんでいた老夫婦から事情を聞かれた須佐之男命は現社地に仮の館を建てさせ見事に大蛇を退治されたという。-八岐の大蛇退治の物語-
今境内に「壷神」として祀られてあるのは、その酒壷の一つである。天正年代(一五七〇)三沢城主為景の建立した国神社があったが後世荒廃し合殿として当社に合祀されている。古来より例祭には「八塩折の酒」を作って献上していたが今は行われていない。
明治四十三年神社制度の改革により三社神社に合祀されていたが、氏子(七戸)の熱心な願望により昭和二十一年御分霊を奉斉して飛地末社となし、昭和三十一年宗教法人として設立。元の社地に復旧したものである。
壷神由緒
祭礼 旧暦六月三十日
壷 口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸
神代の昔、須佐之男命が八岐の大蛇を退治なされる時、脚名槌、手名槌の夫婦に「汝等は八塩折の酒を醸り、垣を造り廻らしその垣に八門を作り、門毎に八桟敷を結い、その桟敷毎に酒船を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた -古事記より-
その時の酒壷の一つを祀ったものである。昔土民がこの壷に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく鎮まったという。村人たちは人の手に触れることを恐れ多くの石で壷をおおい玉垣で囲み、注連縄をめぐらし昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ現在にいたっているものである。
毎年旧六月晦日の夕刻には氏子全員がにぎやかに参拝し、昔ながらの八本の幣と供物を献じて壷神祭を続けている。昔から「印瀬の壷神さん」として広く知られている。
「印瀬の壷神」は八口神社というのが正解かもしれません。
しかし、ヤマタノオロチを退治した地でもある八口神社と混同しそうですので、こちらでは「印瀬の壷神」で表記を統一させていただこうと思います。
しかし実物は石に覆われ見る事ができないようになっていますが、一寸を3おおよそ3cmで計算すると、壷の大きさは口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸とのことですので、口径13.5cm、腹径19.5cm、深さ15cmとかなり小振りの壷であるようです。
ヤマタノオロチの伝承の遺物としては少し小さすぎやしないか、と感じます。
また、ふと道端で見かけたこの看板。
「捨てないで!壷神様が見ているぞ」という標語が書かれていますが、よくよく考えてみれば、これは壷神が恐れらる対象でなければ成り立たない標語です。
しかし、壷神とは八塩折の酒を満たした壷であるに過ぎず、怖れられる由縁として考えるには疑問が残ります。
神器の中には、資格が無いものがその神器を見る、触れると目が潰れる等というものも無い訳では有りません。(他でもないヤマタノオロチの尾から出てきた草薙の剣)
現地案内書に「昔土民がこの壷に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく鎮まったという。」という箇所がありますが…
ひょっとしたら、別の呪物が後世になってヤマタノオロチの伝承に由縁が上書きされたのでは、という印象を受けなくも有りません。
とはいえ、現在はヤマタノオロチ伝説の遺物として語られている訳ですので、そのまま受け取ればいいのかなと思います。
<<関連エントリー>>
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八口神社-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・尾留大明神旧社地-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八本杉-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・天が淵-
ヤマタノオロチ-島根県仁多郡・鳥上滝-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県仁多郡・鬼神神社-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県雲南市・須我神社-
印瀬の壷神
場所:島根県雲南市木次町大字西日登1524-1
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Entry//
[3回]
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ヤマタノオロチ伝承では、大蛇は須佐之男命の用意させた八つの壺に満たされた八塩折の酒を飲み、酔いつぶれたところを命によって退治されてしまいます。
この伝承地には、その八塩折の酒を満たした八つの壷の内の一つが残されているという話です。
斐伊川を遡るように、県道314号線を車で走らせていると、「印瀬の壷神」の標識と案内を見つけることが出来ます。
そしてその案内どおりに、山の中へ5分ほど車を走らせた突き当りに、目的地である「印瀬の壷神」はあります。
駐車スペースから古びた木の鳥居と、その奥へ続く道が見えます。
訪ねたときのように日中であれば兎も角、夜中には訪ねたくないような雰囲気があります。
駐車スペース脇にあった金属製の案内プレート
八俣大蛇伝説由縁の地
壷神
須佐之男命が八俣の大蛇を退治するため、酒を盛らせた八つの壷の一つがあります。
退治する方法は垣をめぐらせ、八つの門を作り、門ごとに佐受岐(浅敷)を結い、その佐受岐に八塩折の酒を盛った壷を置いたその壷です。
鳥居をくぐり、木の階段を登ったその先に「印瀬の壷神」はありました。
振り返ってみるとこんな感じです。
こちらが件の「印瀬の壷神」。右が覗き込んでの写真です。
直ぐ脇に現地案内板もありました。
宗教法人 八口神社 木次町大字西日登1524-1
御祭神 須佐之男命 櫛名田姫命
配祀祭神 国神社(脚名槌命、手名槌命)
八幡宮(誉田別命)
例大祭 十月二十七日
由緒
現存する最古の棟札は宝暦八年修復(一七五八)のものであるが当社の建立年代は不明である。
簸ノ川(斐伊川)の天が淵(湯村地旧)に住む八岐の大蛇は国神である脚名槌、手名槌夫婦の娘を、年毎に一人ずつ奪った今年はついに八人目の末娘、稲田姫が奪われようとしていると泣き悲しんでいた老夫婦から事情を聞かれた須佐之男命は現社地に仮の館を建てさせ見事に大蛇を退治されたという。-八岐の大蛇退治の物語-
今境内に「壷神」として祀られてあるのは、その酒壷の一つである。天正年代(一五七〇)三沢城主為景の建立した国神社があったが後世荒廃し合殿として当社に合祀されている。古来より例祭には「八塩折の酒」を作って献上していたが今は行われていない。
明治四十三年神社制度の改革により三社神社に合祀されていたが、氏子(七戸)の熱心な願望により昭和二十一年御分霊を奉斉して飛地末社となし、昭和三十一年宗教法人として設立。元の社地に復旧したものである。
壷神由緒
祭礼 旧暦六月三十日
壷 口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸
神代の昔、須佐之男命が八岐の大蛇を退治なされる時、脚名槌、手名槌の夫婦に「汝等は八塩折の酒を醸り、垣を造り廻らしその垣に八門を作り、門毎に八桟敷を結い、その桟敷毎に酒船を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた -古事記より-
その時の酒壷の一つを祀ったものである。昔土民がこの壷に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく鎮まったという。村人たちは人の手に触れることを恐れ多くの石で壷をおおい玉垣で囲み、注連縄をめぐらし昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ現在にいたっているものである。
毎年旧六月晦日の夕刻には氏子全員がにぎやかに参拝し、昔ながらの八本の幣と供物を献じて壷神祭を続けている。昔から「印瀬の壷神さん」として広く知られている。
「印瀬の壷神」は八口神社というのが正解かもしれません。
しかし、ヤマタノオロチを退治した地でもある八口神社と混同しそうですので、こちらでは「印瀬の壷神」で表記を統一させていただこうと思います。
しかし実物は石に覆われ見る事ができないようになっていますが、一寸を3おおよそ3cmで計算すると、壷の大きさは口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸とのことですので、口径13.5cm、腹径19.5cm、深さ15cmとかなり小振りの壷であるようです。
ヤマタノオロチの伝承の遺物としては少し小さすぎやしないか、と感じます。
また、ふと道端で見かけたこの看板。
「捨てないで!壷神様が見ているぞ」という標語が書かれていますが、よくよく考えてみれば、これは壷神が恐れらる対象でなければ成り立たない標語です。
しかし、壷神とは八塩折の酒を満たした壷であるに過ぎず、怖れられる由縁として考えるには疑問が残ります。
神器の中には、資格が無いものがその神器を見る、触れると目が潰れる等というものも無い訳では有りません。(他でもないヤマタノオロチの尾から出てきた草薙の剣)
現地案内書に「昔土民がこの壷に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく鎮まったという。」という箇所がありますが…
ひょっとしたら、別の呪物が後世になってヤマタノオロチの伝承に由縁が上書きされたのでは、という印象を受けなくも有りません。
とはいえ、現在はヤマタノオロチ伝説の遺物として語られている訳ですので、そのまま受け取ればいいのかなと思います。
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ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八口神社-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・尾留大明神旧社地-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八本杉-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・天が淵-
ヤマタノオロチ-島根県仁多郡・鳥上滝-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県仁多郡・鬼神神社-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県雲南市・須我神社-
印瀬の壷神
場所:島根県雲南市木次町大字西日登1524-1
より大きな地図で 黒猫による島根県妖怪・伝承地地図 を表示
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