松原市の狐たちの足蹠辿り、2箇所目は現在の阪南大学の裏あたりにあったという狐山に棲んだという狐の住まいの現状です。
[1回]
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まずはどのような狐であったのか、
wikipedia 松原の狐たち からの引用です。
礼儀正しい狐の話 (阪南裏 狐)
阪南大学裏にある狐山の狐は、道の掃除が日課で礼儀正しく、村人が通ると挨拶し、油揚げのお礼をして見送ったという。
住民票に載せられているのは、姓は阪南裏、名が狐、そしてこの狐には本籍の記載もあるようで、大和とされているようです。最後に住所は阪南裏の狐山なのだとか。
この狐についても松原市のHPに記述があります。
無断転写・引用は禁止とのことなので、リンクの形で紹介させていただきます。
松原市の狐達と三ツ池のおよし狐
一里塚の耕助狐の話-2
さて、どうやら棲んでいたというのは現在の阪南大学の裏手にあったという狐山のようです。
しかし、平成25年現在その近辺に小高い丘のようなものさえも全く有りません。
むしろ宅地化、道路の施設などを行っており、非常に平坦な土地となっています。
やや、起伏が感じられる場所といえば、阪南大学の敷地内東側ぐらいでしょうか?
現在の阪南大学の裏手は住宅地となっているのですが、阪南大学の直ぐ近くまで小川などがあったりしますので、もともと起伏のあった土地とは考えにくいのかな?と考えてしまったり。
そもそも阪南大学は、昭和14年(1939年)母体となる学校法人大鉄学園により私立大鉄工学校としてスタートします。
昭和23年(1948年)に再編し、商業科、普通科、夜間部を設置する大鉄高等学校として生まれ変わります。
昭和39年(1964年)、新たに課程再編され5科を擁する学校へとさらに成長していきます。
そしてついに昭和40年(1965年)阪南大学が誕生します。
そして高校が別の土地に移ったり、昭和47年(1972年)、昭和61年(1986年)、平成9年(1997年)に学部を増やしたり再編したりしながら現在に至るようです。
ざっと歴史を追ってみた限りでも敷地を拡張して来ているようなのです。
かつて阪南大学の裏手にあったという狐山も、阪南大学に飲み込まれていったのかもしれませんね。
松原市の古い地籍図とでも照合していくと、この近辺の土地がどのように変化してきたのかハッキリと分かるのでしょうが、今回はちょっと省かせていただいて、阪南大学近辺を少し回ってみました。
機会があれば古い地籍図にも手を出してみます。
阪南大学の北東近辺。
このあたりは現在このように大規模に工事を行っています。
少し後にはかなり広い道路や住宅地となるのでしょう。
阪南大学の北門からキャンパス内を。正面から見ると一番奥の方になります。
或いはこのあたりに狐山があったのかもしれません。
と、書くだけ書きながら、他の民話も読んでいたりしますと、
第67話 摩訶不思議な話
こちらにも阪南大学裏の狐山についての話が載せられているのですが、松原市には山がないので、小高い丘や藪のことをヤマと呼んだ、等という記述が見られます。
本当に小高くなっていただけの場所なのかもしれませんね。
<<関連エントリー>>
狐-天美の踏切-
狐-籠池跡地(松原市消防署西出張所)-
狐-阪神高速14号松原線 三宅出入口近辺-
狐-三ツ池跡-
阪南大学裏手
場所:大阪府松原市天美東5丁目近辺
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