酒呑童子退治の主役として知られている源頼光ですが、堺市南区に彼の使った刀を埋めたと伝えられる塚が残されています。
[6回]
「大阪伝承地誌集成」には以下のように記されています。
頼光の鬼退治
泉北で頼光が鬼を退治したとの記念碑が現存する。
法華寺(南区別所)の境内脇の草むらに、中途から折れた二つの碑が並んでいる。
一基は「光武器塚」(頼光の武器を埋めた跡の意)、もう一基は「応徳二年八月、源頼光奉釼塚 奥野氏源知光納文」と刻まれる。
源知光は、頼光の五男で当地に別荘を営み、奥野氏を称し六坊を建立した。
碑文に出る応徳二年は1085年だから、父頼光が没した64年後に、老いた五男知光が父が鬼退治に用いたという伝家の宝刀を埋め、供養した塚であると思われる。
さて、源頼光に関連する鬼退治で有名な説話で真っ先に思い浮かべるのが、大江山の酒呑童子退治。
しかし、一般的にはこの際に頼光が腰に挿していたのは「童子切安綱」であるとされています。
「童子切安綱」は現在東京国立博物館に収蔵されており、国宝指定も受けています。
国宝指定名称は「太刀 銘安綱(名物童子切安綱)附糸巻太刀、梨子地葵紋散太刀箱(たち めい やすつな めいぶつどうじぎりやすつな つけたり いとまきたち なしじあおいもんちらしたちばこ)」。
他に源頼光に縁のある鬼退治というと、頼光本人ではありませんが、頼光四天王が一人の渡辺綱による「一条戻り橋」或いは「羅生門」の鬼退治も非常に有名です。
しかしこれまた源頼光が使用したとされる刀は「髭切」、またの名を「鬼切」であるとされ、様々の人の手を渡りながら、現在は北野天満宮に所蔵されてあるとされています。
鬼というと上記ぐらいしか思い浮かべる事が出来ないのですが、源頼光は他にも土蜘蛛を退治した、という逸話も残されています。
しかし、これも残念ながらその時に使用されたと伝えられるのは「膝切」、またの名を「蜘蛛切」であるとされ、現在は兄弟刀である「髭切」と共に北野天満宮に所蔵されてあるとされています。
ということで、源頼光が鬼退治に使用したと伝えられる刀は全て収蔵されている場所がハッキリしているのです。
もっとも、「平家物語 剣巻」を史実として捉えて良いのか、とかの問題はあるにせよです。
こちらの伝承とは矛盾を生じてしまうのです。
ただ、堺市の広報誌の中でこのような記述を見つけました。
*腰掛け石つけたり 「藤 村 博 文」
大江山の鬼を退治したという源頼光の子の知光が「鬼ヶ平」の鬼(近在を荒らした悪徒か)を父の刀で退治した、という伝説が堺市南区別所に残っており、同所の法華寺には、知光がその刀を埋めた所と伝えられている「頼光塚」があります。現在は、「源頼光奉釼塚」と記された石碑(應徳二年銘―1085 年)が、掘り起こされて木に立てかけられていますが、塚そのものは寺の西方、今はみかん山になっている所にあったそうです。またすぐそばには、上部が折れて「光武器塚」の四文字が残っている石碑が、同じく木に立てかけられています。「頼光塚」は、古くは「刀塚」とも呼ばれていたようなので、おそらく「源頼光武器塚」であったのでしょう。
鬼の腰掛け石と伝えられているものも、福島県二本松市、横浜市、長野県中川村、山梨県大泉村、福岡県太宰府市などにあります。
鬼と並んで日本の伝説や民話によく登場するのは天狗や河童ですが、「天狗の腰掛石」が山形県最上町に、「河童のこしかけ石」が静岡県清水市にあります。堺市でも、大和川、石津川、西除川、泉北の大蓮池などに河童がいたという話、また南区片蔵には、現在は桜井神社に奉納されている「こおどり」にも登場する天狗や鬼にまつわる話が伝えられています。
こちらの物語の方であれば矛盾無く理解する事が出来そうです。
頼光の子 知光が頼光より譲ってもらった刀(銘は不明)にて「鬼ヶ平」の鬼を退治し、その刀をこの地に埋めた、ということなので。
いずれにせよ、鬼を切った刀が眠る地という、面白い由来の場所という訳です。
大阪市内から見ると府道61号線を南下していくと、このような「法華寺」への案内の碑が道端に建てられてありました。
ちなみに、府道61号線を南下していった場合、この写真の碑は道路左手に見えます。
上の写真は、やや通り過ごしてから駐車し、徒歩で歩いて戻ってきながら写したものなので、ご了承下さい。
案内の通り山手に登って行くと、突き当たりにこのような看板が。
この看板では分かりにくいのですが、「源頼光武器塚」は「法華寺」の本当に直ぐ脇にあります。
よって「法華寺」の方に向かうのが正解です。
こちらが「法華寺」の本堂。
寺というより、小さなお堂のようです。
そこから振り返り、みかん畑の方を見ると・・・
少しアップ
画面中央に本当に小さな石碑があるのが分かります。
この石碑をアップにしたものがこちら。
「大阪伝承地誌集成」の記述の通り、
右の石碑には「応徳二年八月、源頼光奉釼塚 奥野氏源知光納文」という文字が、
左の上半分が折れてしまっている石碑の方には「光武器塚」の文字をくっきりと見る事が出来ます。
石碑は小さいながらも、私のような妖怪好きには空想をかき立てられる場所ですね。
源頼光武器塚
場所:大阪府堺市南区別所288(法華寺すぐ脇)
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