恐らく水木しげるだと思いますが、猫又を描いた妖怪画を、子供の頃に見た覚えがあります。
日本手ぬぐいを頭にかぶり、三味線を手にした構図のものです。
このブログを作成していくにあたり、改めて妖怪関係の伝承を調べてみると、大阪市にも猫又の話が伝わっている事が分かりました。
[8回]
「大阪伝承地誌集成」には以下のように載せられている。
天満橋の北西のあたり(菅原町)あたりに、大の猫好き老夫婦がいた。
楽隠居ですることもなく、子や孫も離れてめったに来なかったから、いつのころからか猫を飼ってやたらとかわいがっていた。
なにしろ寝るときも同じ蒲団の中、食事やちゃぶ台に座らせ自分の皿から魚肉のおいしそうなところを箸でつまんで食べさせる。
味噌汁も同じ椀に口をつける。
お風呂に抱いて入り、おしっこか、チト待ちやと便所につれていく。
汚れるからと乳母車に乗せて外出するありさまであった。
十数年も大事にされ、栄養満点で小児なみの大きな猫になる。
ところがある夜、「おじいさん、ちょっと来て!」と老婆が目を白黒させて呼びに来た。
襖のかげからそっと覗くと、鏡台の前に座った猫が器用に紅白粉をとり出し、パタパタ顔をはたいているではないか。
顔を歪めて鏡に向かって百面相をする。
なんともいえぬ不気味な形相だ。
そのうちぬっくと二本足で立ち、そばにあった手拭をとってひょいと被り、足拍子面白げに踊りだした。
猫も甲羅を経ると猫またになる。
昔の人はこう書いてある。
-大阪伝承地誌集成 老猫の踊りより-
菅原町には、未だに古い土蔵が残されています。
古くから比較的猫を飼うほど余裕のある商家の方々が住んでいたのでしょう。
他から見た、そういった方々に関する気持ちが、このような妖怪として生まれたのかもしれません。
小松 和彦氏が述べた、農村部における憑き物筋と同じロジックが働いたのではないかと想像しています。
日本全国を見回してみれば古い土蔵は結構残っていますが、土蔵と高速道路が同一アングルに収まる地域は珍しいと思います。
この土蔵は相当古そうです。
土蔵と近代的な高層マンションの2ショット
古くから栄え、現在も活気のある大阪ならではの光景と感じました。
菅原町
場所:大阪市北区菅原町近辺