江戸時代の有名な怪異小説「雨月物語」の作者 上田秋成(1734-1809)。
幼少の頃疱瘡を患い、養父 茂助が鹿島稲荷(現:香具波志神社)に本復を祈願したところ、夢の中で68歳までの存命を告げられ、病状が回復に向かったとか。
以後、秋成も同社への参詣を怠らなかった他、秋成が怪異小説を執筆する原動力にもなったといわれます。
[8回]
訪れてみて境内をあちらこちら拝見させていただいたところ、祭神は倉稻魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)とされています。いずれも食べ物に関する神ですね。
もともとは稲荷神と倉稻魂神は別の神とされていた様にも見えますが、食物神という同一の属性を持つ事もあり、いつしか同一視されていったようです。
その後仏教においては、荼枳尼天と習合されその眷属である狐が、また倉稻魂神は御饌津神(みけつのかみ)と言う別名もあり、狐の古名を「けつ」と言うことから、狐は稲荷神の使い、あるいは眷属という位置付けがなされていったようです。
とは言うものの、現在の香具波志神社の境内には狐の像の一体も無く…個人的には少し残念でした。
拝殿
天照皇大神、稚産靈神、埴山姫神、住吉大神、八幡大神が祀られている、境内摂社。
「摂津志」に「稲荷神社二座 一座在加島村」とされるほど大きな威勢を誇っていたようです。
江戸時代、祭礼の神輿に参勤交代の西国大名の行列が道を譲ったとも記録に残っており、当時の威勢の程が知られます。
もともと賀具波志大社と称していたようですが、織田信長の時に鹿島稲荷神社と改称し、また明治維新後に現在の社名にされたとか。
境内をまわっていた時に面白いなと思ったのがこちら。
巨大な木の切り株に祠が設置され祀られています。
直ぐ脇にあった案内を見てみますと、以下のように書かれていました。
岩木神社
御祭神 木霊神
地神
御由緒 社殿うしろの楠は、南北朝時代の貞治元年(西暦1362年)に楠正成の三男の楠正儀が馬をつないだとの記録があり「駒つなぎの楠」と呼ばれています。
年月日は不明ですが本社殿の神様の盤座として奉斎されていました「石社」と合祀され、岩木神社と呼ばれ現在に至ります。
ご神木、盤座は共に神道の原初の姿をつたえ、木霊神、地神を通して八百万の神々の霊威にふれる斎地として古くから崇拝されているお社です。
昭和45年に樹齢は800年を越えた大阪市一の巨木だったそうですが、枯れてしまったので惜しんで祭っているのだとか。
ご神木を祀っている場所は、それこそ全国に無数にあるのでしょうが、枯れてしまったが故にその木霊を直接祀っているのでしょう。
香具波志神社
場所:大阪市淀川区加島4丁目4-20