柳原紀光著「閑窓自語」上巻「和泉海獣語」には、和泉の国に住む人から聞いた話として同国貝塚の辺りに出るという海坊主の話が載せられています。
これは「東海道五十三対 桑名」(歌川国芳)で描かれた海坊主。
[1回]
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「和泉海獣語」の話では、ときどき海坊主というものが磯近くによってくることがあり、そのような時は誤って外に出ないようにするのだとか。
海坊主は3日ほどで沖へ帰っていくと言われています。
その姿は人に似ているけれど、全身は漆を塗ったように真っ黒。
この話をしてくれた人は、沖へ帰っていく後姿だけを見たので、顔はどのようになっているのかは分からないといったそうです。
座敷浪人の壺蔵さんのホームページで
現代訳もなされていました。
話の舞台とされる貝塚は、現在貝塚市となっており、これまた大阪湾に面する街の例に漏れず開発が進められ、以前の海岸の姿を留める場所はあまり残っていません。
ただ、昔からあった「二色の浜」近辺を整備し、「二色の浜公園」として現在も海辺の憩いの場として開放しています。
そこでこちらに行ってきました。
今回訪れたのは、「二色の浜公園」でも埋立地側です。
こちらが本来の「二色の浜」。
正面に見えるのが「二色の浜公園」のシンボルのマスト。
(左) 関西国際空港連絡橋
(右) 関西国際空港
貝塚からは関西国際空港は非常に近いです。昔の人はまさか目の前の海にこのようなものが出来るとは夢にも思わなかったことでしょう。
訪れたのが夕方だったので、非常に美しかったです。
橋の向うに見えるのは、紀伊半島。屈折の加減で海面からやや浮いて見えます。
沖には淡路島を見ることが出来ます。
この日は大阪に珍しく雪が降り、阪神高速も全線通行止めという、仕事をされていた方々には散々な日であったと思いますが、我が子ははしゃぎまわっていました。
もう1時間も過ごしていれば、良い日の入りの写真を収められたかもしれないのですが、寒かったのに加えて寝てしまった下の子とかみさんを車の中に残してきているので、こちらで切り上げました。
公園という整備された環境に加え、(大阪にしては)大雪の後という天候にも恵まれたので、今回訪れた二色の浜からはとてもではありませんが、妖怪と言うおどろおどろしい物を想像することはできません。
最も娘は「実はさっき行った海辺にはね…」と海坊主の話を帰りの車中で話してあげると怖がりまくっていましたが。
さて、海坊主の正体はと思いを巡らせているのですが、まず海中に棲み全身真っ黒というので鯨を考えてみました。
大阪での鯨の骨の発掘された場所(大阪市立自然史博物館にて撮影)
大阪湾には、今でも日本近海にいるミンククジラのほかザトウクジラやマッコウクジラもいたようです。
ただ、直ぐ南で比較的交流のあった和歌山では、鯨は食用として考えられているためこの可能性は少ないかな?とも考えています。
他で海に棲み、大きく全身真っ黒でとなれば、ひょっとしたらシャチのことを海坊主と呼んだのではないか、と推測しています。
シャチも日本近海にも住みますし、近代でもごく稀に捕獲されます。
大きいものなら人よりはるかに大きく、海面に顔を出して周囲を見回すスパイホッピングという行動もとります。
人を襲うことは稀ですが、それでも他の捕食対象と間違えて襲うこともありますし、船をひっくり返してしまうこともあるようです。(これは攻撃としてではなく、遊んでいただけだと思われますが、何しろ大きさが大きさなので小船ではひとたまりもありません)
海坊主とはなんだったのでしょうね。
二色の浜公園
場所:大阪府貝塚市二色南町
公式ホームページ