大阪市という日本有数の大都市の中心部で、年頭恒例の神事として行われている行事に難波八阪神社で執り行なわれている綱引神事というものがあります。
遊戯や競技として「綱引き」は日本全国はおろか世界各地にあるのでしょうが、こちらの綱引神事は文献上でも江戸時代から執り行なわれていた事が確認できる歴史のあるものです。
黒猫の自宅からは自転車で行ける距離という事もあり、ちょっと覘きに行って来ました。
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この神事の起源は明確ではありません。
しかし、享保4年(1719年)初演の「平家女護島」(近松門左衛門作)にこの神事が登場することから、すでに当時の人々にとって広く知られた大阪を代表する行事のひとつだったことがわかります。
「摂津名所図会」(1796年)には上のように絵入りで紹介されています。
「摂津名所図会」については、リンクにある「古典籍総合データべース」で原文を確認する事が出来ますので是非ご覧になって下さい。三巻に該当箇所があります。
この時期、この難波八阪神社は牛頭天王社と称されていましたので、「難波村牛頭天王綱引」として紹介されています。
その記述によれば、その頃は「産子の人々左右に分列して大綱を争い引きて、其勝方其年福を得るといふ。」という年占の綱引であったようです。
そして現在。
綱引神事は、八頭八尾の「八岐大蛇」形の綱をつくり、境内でその年の恵方に引き合う、というものになっているようです。
これは現在の祭神である素盞嗚尊に因んだモノに変化してきたようですが、そもそもこの神社は上で触れたように江戸時代には牛頭天王社として崇敬されていました。
この牛頭天王というのは、日本の神仏習合における神様です。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視されています。
また、インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神でもあります。
これは京都の祗園祭で有名な八坂神社がありますのでよく知られていますね。
そして薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされているのです。
ですが明治期に入り、日本は神仏分離という政策をとったため、全国の牛頭天王を祀る祇園社、天王社は、スサノオを祭神とする神社に再編されていく事になります。
こちらの神社もその流れの中で「難波牛頭天王社」から「難波八阪神社」へと変わっていく事になり、その中で綱引神事もスサノオに起因する性格を付加されたのでしょう。
「摂津名所図会大成」(1854~60年)に「八束穂」という記述が現れることから江戸時代末期には大綱の端は8つに分かれていたと思われますので、八頭八尾の「八岐大蛇」が連想されることも一因だったのかもしれません。
そして明治時代の前半に一時途絶えたこともあったようですが、明治30年(1897年)に再興され、やや形は変わりながらも続いている伝統行事として現在に至るも続けられているのです。
さて、現地の様子です。
8時から神事が始まるとの事なので、その30分程前に到着。
事前にネットで調べてみたところによるとこの神事は8時頃に祭典を執り行ない、それから大綱を編み出して11時ごろから、いよいよ綱引きの始まり、巡行との事です。
まだ人は疎らです。
非常に有名な大獅子殿。
神楽などが奉納される舞台となっているそうです。
獅子殿の鼻の上に鳩が見えました。
巨大さがよく分かります。
社殿前に神事の準備がなされていました。
右手の写真が大綱を編む縄ですね。
8時前になると氏子の方々が集まりだしました。
まずは今日の神事の進行予定を氏子さんたちに話していました。
話されていたのは禰宜さんでしょうか?
話している内容を聞いていると、今年から宮司さんが変わられたこと、例年は綱引神事の際にも大祓を行っていたらしいのですが、大祓は夏越と年越の際に行われるものなので、本年は大祓は行わないとの事でした。
確かに大祓が年3回というのはちょっと変わっているように思います。
また、綱を編む人も減っているとの事で、綱の編みあがりは12時を目標にしているとの事でした。
そして8時になると祭典が始まります。
写真には写っていませんが、この日は雪もちらついていました。
雪の中の屋外で粛々と執り行なわれていたのですが、神職の方々の装束は流石に寒そうです。
祭典が終わると、いよいよ綱を編み始めます。
もちろん氏子の方々が作業をされるのですが、人出が足らないこともある為か、見学していた人達にも一緒に作業しませんか?と声をかけてまわられていました。
私も誘っていただいたのですが、子供達を家に迎えに行かなければならなかった(比較的朝が早かったので寝ている子供達は起こさずに祭典は一人で見学しに来ていたのです)ので、申し訳なく思いながらも辞退させて頂きました。
まずはこのように固定してある杭で綱を伸ばしていきます。
そして数本の綱を束ねていって、どんどん太いものを作っていくわけです。
最終的には、こんなに太い綱を作っていきます。
中央部は2本の綱を結びつけて。。。
最終的にはこのような形に整えてゆきます。
八房に分かれる両端は下のように作業してゆきます。
バラバラのところから八房に編んでゆきます
編みあがったら先端はほぐしていきます。
ここは女性の方が担当していました。
もう片方の端も同様に
片方(八岐大蛇ですので頭に当たるのでしょうか?)には、このような飾り付けがなされていました。
完成と同時にお囃子が^^
「難波の綱引、ヨーイヨイ」
12時に完成を目標にしていましたが、実際に出来上がったのは13時頃になっていました。
そして、いよいよ綱引の始まりです。
中央部はやはり重かったです。
娘と息子も参加して頑張ったのですが、完全に力不足;;
付近の方々、ご迷惑をおかけしました;;
よって息子は私の手元に回収。娘は継続して頑張るようです。
持ち上げて、恵方の方角にあわせて綱を引きます。
綱引の終わったあとは、写真の台車に載せて、付近を巡行するとの事でした。
そして本年は巡行後は再び境内に戻ってきて大獅子殿に奉納されるとの事でした。
伝統を守り続けてこられた地域の方々、参加させていただいてありがとうございました。
難波八阪神社
場所:大阪市浪速区元町2-9-19
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