大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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[5回]
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「西宮ふるさと民話」に以下の話が載せられています。 鳴尾(なるお)のかみなり
鳴尾の八幡神社(はちまんじんじゃ)には大きな森があって、夕立ちの雨の時などには、かみなりさんが喜んで、木を伝ってあばれまわります。 かみなりさんはいたずら好きです。ピカッと光ると、ゴロゴロッと音をたてて走りまわります。八幡神社の真上では、特にバリバリッとものすごい音をたてます。 お宮で遊んでいた子どもたちはびっくりして、耳とおなかをいっぺんにおさえながら、走って帰ります。かみなりさんは子どものおへそが大好きですから、おへそにすっかりふたをし、耳をあっちこっちおさえながら逃げるのです。 かみなりさんは、吹き降りの雨と競争して、木と木の間をとびまわります。得意になって、大きな木の梢から目に見えない速さでかけ下り、ドカンと落ちて、またかけ上がるのです。そのあとが黒こげになります。 ところが、どうしたはずみか、ピカピカッ、グワランと大きな音をたてたとたんにかみなりさんがお宮の前に転げ落ちてしまいました。木の皮にすべって、しくじったのです。土の上で手足をバタバタさせてしまいました。 そこへ神主(かんぬし)さんが出てきました。落ちているかみなりさんのくびをつかみ、「雲の上にほうり上げてやりたいが、またいたずらをするだろう。ここにしばらく入っておれ。」と、お社(やしろ)のそばにある井戸のふたを開けて、中へポイッと投げこみました。そしてぶ厚い板のふたをもとどおりにしめ、出られないようにしました。 かみなりさんは、その中で、おとなしくしていました。その間は、鳴尾の村ではかみなりは落ちなかったということです。 そのあと、井戸の中のかみなりさんはどうなったでしょう。じつは、かわいそうに思った神主さんが、「どうだ、鳴尾の村ではもういたずらをしないか。」とたずねて、かみなりさんに約束をさせ、夜中に出してやったということです。 (今津にも「福応(ふくおう)神社のかみなり」として、同じような話が伝わっています。) 黒猫はこの八幡神社に程近い場所にある高校に通っていたので、場所は直ぐに分かりました。 ただ、学生の時分にはそのような伝承があるとは露知らず。 そういえば学生時代は、伝承などよりも幽霊などのオカルト的な物を追いかけていたように思います。 鳥居と本殿 摂社 手水舎 娘と一緒に境内を回ってみたのですが… あれ?井戸がない。 残念ながら、伝承が伝える井戸は恐らくもう埋められてしまっているようです。 或いは手水舎の所のものが、井戸の名残かな? 確かに社に近いですし、ね。 鳴尾八幡神社 場所:兵庫県西宮市上鳴尾町14−21 より大きな地図で 黒猫による兵庫県妖怪・伝承地地図 を表示
[2回]
この岩は動かすと祟ると評判の岩で、県道を整備する際それが考慮され、新聞にも載ったほどです。 以下の記事は2009年1月8日付の神戸新聞の記事です。 「動かせばたたり」と地元で言い伝えられる「巨岩」かわして県道整備
兵庫県西宮市
西宮市の市街地北部を走る県道の真ん中に、「動かすとたたりがある」と地元で言い伝えられる大きな岩がある。 工事のために動かそうとした関係者が相次いで亡くなった-といううわさがその根拠。 真相ははっきりしないものの、県道の改修工事を予定する兵庫県西宮土木事務所は「ないがしろにできない」と、岩を避けて整備する異例の対応を決めた。 (木村信行) 西宮市鷲林寺(じゅうりんじ)町の県道大沢西宮線にある通称「夫婦(めおと)岩」。高さ約二・五メートル、幅約五メートルで真ん中に亀裂があり、二つの岩が寄り添うように並んでいる。 県道はこの岩を挟んで前後で北行き、南行きに分かれている。 地元では古くから「動かそうとするとのろわれる」とうわさされる。 「一九三八年の阪神大水害の復旧工事で国が爆破しようとしたが、工事関係者が急死して中止されたらしい」と地元のお年寄り。 ただ、西宮市や道路を管理する県西宮土木事務所にこうした事実を裏付ける記録はない。 交通量が多い割に道路幅が狭く、見通しの悪いカーブとなっていることから、県は夫婦岩の南北約一キロの区間で拡幅工事を計画。 夫婦岩を動かさないように道路全体を西側にずらす形で設計した。 夫婦岩の周辺は緑地帯として整備、住民が憩える空間にするという。 事業費は約八億円。既に一部で着工しているが、県の財政難で完成は当初予定の二〇〇九年度末よりも遅れる見通し。 「これまで事故がなかったのは奇跡的。今回の整備で安全性が高まる」と同事務所。 「『言い伝え』は担当者に引き継がれ、計画段階でも岩を動かそうという声は出なかった」という。 「村の宝」と父親から教えられてきたという近くの甲斐富男さん(82)は「地域のシンボルを残せてよかった」と話した。 上の新聞記事の他、鷲林寺のHPの記事でも移動忌避に関して触れられています。 こういった忌避信仰と同程度の比重で、心霊スポットとしても有名な岩です。 意外な事に、忌避信仰のある事物と心霊スポットが重なる事例は意外と少ないように思われます。 これは忌避信仰のある事物は祀られ、鎮まっていると認識されているからかも知れませんね。 私は学生時代までは西宮に住んでいたので、この岩の話は耳にしました。 岩の近辺では、オカルト的な内容(いわゆる霊が出る)を含めた事故(岩に直接あたるという訳ではない)もそこそこあるという話も聞きます。 ただ事故に関してまでは、私も調査の手を伸ばしていないので真偽の程は分かりません。(興味が湧かなかったのです;;) また西宮にすんでいた頃には、牛女がこの上に座っており、後ろから車を追いかけてくるという話も耳にしました。 それに「動かそうとするとのろわれる」という物の3つの話が、この岩に関してよく聞かれるものです。 何に呪われるのかについては、岩そのもの、これに棲みつく巳様など、いくつか話があります。 これ以外にも、昔、紋左衛門という人が水争いの諍いを鎮めるために天狗に扮してこの岩で仲裁した、という伝承も残されています。 この話は「西宮ふるさと民話」の中に「六甲山(ろっこうさん)のてんぐ」として載せられています。 中でも、地元で最も恐れられているのが「動かそうとするとのろわれる」という話です。 というより、霊の話や牛女の話は、真剣に受け取る人がより少ないから、という理由が有るかもしれません。 「動かそうとするとのろわれる」という話も、神戸新聞で取り上げられた話のほか、戦後GHQによって、という話もあったように思いますが、うろ覚えですが確かこれも事故の記録自体は見つけられなかったと記憶しています。 しかしながら、若い方だけでなく、年配の方まであたかも事実であるかのように語り、それによって経済性より優先してこの岩を残す形で工事が行われるようになったことは驚くべき事でしょう。 しかも、平成の世に行われた行政の関わる公共工事です。 行政としても、こういった移動忌避に関する話も民間信仰の一形態と考えざるを得なかった、ということでしょうか。 そうでなければ、県道改修ですので税金の投入される公共工事が、より多くの事業費をがかかる方法をしなければならなかった理由は有りません。 ちょっと離れたところから。 明らかに交通の邪魔になっています。 横から 記事にもあった工事の看板 左側の写真のように拡張されてきています。 右側の小川も道路の下に潜るのでしょうか。 <<関連エントリー>> ソランジン・牛女-兵庫県西宮市・鷲林寺- 夫婦岩 場所:兵庫県西宮市鷲林寺町
[4回]
リンクにある「西宮ふるさと民話」にも「甲山(かぶとやま)とソラジン」として載せられていますが、このブログではせっかくですので舞台となった鷲林寺に伝わるソランジンで以降書き方を統一しておこうと思います。 さて、その悪神ソランジンですが、西宮市の民話と寺伝では微妙に話が異なりますので、退治された経緯やその後の祀られ方も異なります。 民話の方では、ソランジンは鷲林寺あたりに住んでいた土着の神で、神呪寺開基にあたって悪さをしますが如意尼の信心のお蔭か追い払う事ができ、東の大きな岩にソランジンを祀ったというもの。 一方寺伝では、弘法大師がソランジンを桜に封じ込め、それで「十一面観音像」と「鷲不動明王」を彫り、寺の本尊として鷲林寺を開いたというものです。 これにあわせ、ソランジンも麁乱荒神として祀ったとの事。 いずれにせよ、ソランジンと鷲林寺は切っても切れないものです…しかし、寺=仏教なのに神が堂々と寺伝に出てくるあたり、極めて不思議な印象を受けます。これもひとつの神仏習合の結果なのでしょうか。 本堂と多宝塔 本尊は毎年4月21日のみご開帳されるとの事で拝観することは出来ませんでした。 境内の様子 鷲林寺略縁起 さて、もうひとつの牛女についてです。 そもそも、昭和の西宮にて発生した「牛女」の話をご存知でしょうか? Wiki 「件(くだん)」から抜粋すると、 第二次世界大戦末期から戦後復興期にかけては、それまでの人面牛身の件に代わって、牛面人身で和服を着た女の噂も流れ始めた。以下、これを仮に牛女と呼称する。 牛女の伝承は、ほぼ西宮市、甲山近辺に集中している。 例えば空襲の焼け跡で牛女が動物の死骸を貪っていたとする噂があった。 また、芦屋市・西宮市間が空襲で壊滅した時、ある肉牛商の家の焼け跡に牛女がいた、おそらくその家の娘で生まれてから座敷牢に閉じ込められていたのだろうという噂などが残されている。 小説家小松左京はこれらの噂に取材して小説『くだんのはは』を執筆したため、この牛女も件の一種とする説もある。 が、幕末期の件伝承と比較すると、 件は牛から生まれるが、牛女は人間から生まれる。 件は人面牛身、牛女は牛面人身。 件は人語を話すなど知性が認められるが、牛女にはそれが認め難い。 といった対立点があり、あくまでも件と牛女は区別すべきと言う主張もある。 と、いうものです。 さて、もう少し現地の噂を見てみると、 ・「夫婦岩」の上に座っており、後ろからすごい勢いで追いかけてくる。 ・赤い着物を着ており顔は毛深く良く見えない。 ・「夫婦岩」の近くにある鷲林寺境内の洞穴に棲む。 と、いうものを西宮に住んでいた頃聞きました。恐らくこれ以外にもいろいろあるのでしょうが、あくまでも私の聞いたものは、ということで。 牛女がいたという八大龍王を祀る洞穴 戦火に巻き込まれた時、有馬まで逃げ延びるため掘られたとの話もあります。 現在は洞穴の前に社が立てられており中を覗く事も出来なくなっています。 八大龍王を祀る洞窟の脇に伍大黒長天龍神、白竜大神、黒竜大神 「牛女」の話は、当初はWikiに見られるように、比較的平野部で発生したようです。 その後、山間部へと話が移動し、さらに尾ひれがついていったように見受けられます。 「牛女」の話の発生には、部落差別も一因としてあるのではないか、との説も聞きます。 というのも、若い世代にとって西宮というのは比較的高級なイメージがありますが、明治以前には、大きな部落があり、その村の方々が畜産を営んでおり、戦後復興期に部落差別が形を変えて噴出したのではないか、というものです。 さて、その「牛女」ですが、住処ということになった鷲林寺は、非常に困った事になりました。 というのも頻繁に訪問者がやってきて、肝試しをしたりするようになったからだとか。 そこで困り果てた住職がそんなある日、冗談のつもりで山門入口に看板を出したのです。 「“牛女”は残念ながら引越しされました」と… その看板を出してから夜中の訪問者の数は激減し、静かになったのだそうです。 このあたりの経緯は、鷲林寺のホームページにて書かれてあります。(牛女伝説の真実) 私の聞いていない噂や、せっかく沈静化したのにこれをテレビがまた蒸し返したりと、他にも興味深いことが書いてあります。 正直なところ、「牛女」の話の発生の過程における真実は、分かりません。 他の地域にも屠殺場はあったのに、何故西宮だけでこの話が出たのか、何故山手に移っていったのか、近隣に他の荒神もあったのに何故鷲林寺なのか… もともとあった、夫婦岩のたたりの話に習合していった為かもしれませんし、他に原因があるかもしれません。 「牛女」(と誤認された何か)が真実そこにいたというのもあるかもしれません。 確かなのは、「牛女」を信じる人達がいた事と、それにより迷惑を被っていた寺があったことでしょう。 寺の住職としては、「牛女」は信じるに足らない迷信だ、しかし、「牛女」を信じる人達は毎晩のように寺にやってきて、現実に迷惑を被っている、こんなところでしょうか? このケースでは、「牛女」を信じる人達は何処の誰、と特定する事は出来ません。 情報伝達のインフラが整った現代では、「牛女」を信じる人達の総体という、討論のしようのない相手を相手にしなければならないのです。 この場合、客観的な視点などなんの役にも立たないことでしょう。 そこで寺院の出された、「“牛女”は残念ながら引越しされました」の看板は、実に妙案であったと思います。 これにより牛女は、住処を奪われる事になったのですが、現代社会に殺される事はなかったのですから。 このあと残念ながら、西宮の「牛女」はメディアによって新しく命を吹き込まれてしまい、また鷲林寺に存在せざるを得なくなってしまったようですが…これは牛女を信じていた方々にも、鷲林寺にも不幸な事でしょう。 他に境内には弁財天を祀る池もありました。 戦国時代、織田信長軍の兵火から逃げるため当寺までやって来た荒木村重軍の姫君が自分の操を守るため、身を投げたと伝わっています。 その後、その霊を慰めるため鐘楼の金が沈められたのですが、それでも霊が浮かばれず、弁財天を祀ったとかいうことです。 <<関連エントリー>> 牛女・天狗(偽)-兵庫県西宮市・夫婦岩- 鷲林寺 場所:兵庫県西宮市鷲林寺町4の8 公式ホームページ
[1回]
こちらは「西宮ふるさと民話」にて「むすめの身代わり」という話で語られています。 野里住吉神社で語られる話と岡太神社で語られる話は、村人から人身御供を要求するのは狒狒というのも同じですし、その狒狒を退治したと伝えられるのは岩見重太郎というのもまた同じです。 そして、その後に行われている祭りの名称が「一時上臈(上臈とは女郎の事を指す)」というのも同じ(野里住吉神社の「一夜官女」も「一時上臈」と呼ばれていた時期があった)です。 明らかな違いといえば、舞台と祭りの日ぐらいのものでしょうか? 最も、野里住吉神社の「一夜官女」には、狒狒ではなく大蛇が人身御供を要求した、という説もあります。 人身御供を捧げた場所は、「龍の池」だと伝えられていますし、怪物が息絶えていたと伝えられるのは近くの川の中州であったという話も残っており、大蛇であったという説も頷けます。 平成22年の初夏、娘と実家に行くついでに野里住吉神社とあわせて岡太神社も訪ねてまいりました。 黒猫はもともと西宮に住んでおり、中でも岡太神社に程近い鳴尾高校に通っていたので、地図を見ることなく余裕で到着。 もっとも、当時は祭りの由来や伝承などに興味が無かったので、地元にこんな言い伝えがあったとは全然知らなかったのですが^^
(左)旧国道からの入り口 (右)本殿 (左) 岡太神社 略記 (右) 境内には平重盛の供養塔もありました。 「小松内府 平重盛卿 供養塔」 岡太神社は狛犬ならぬ狛猪像が設置されていました。 (左) 狛猪(静止)像 (右) 猪(静止)像の説明書き 一時上臈の説明書き 娘が同行していたので、御神籤を引くついでに社務所にいた方に一時上臈の案内をいただくことができました。 それによると、概ねは境内に掲示されているものと同じ内容が書かれてありましたが、祭りの準備などは毎年氏子が持ち回りで行なうそうですが、家族に不幸があると「ヒガカマウ」として次の番と交代する、という風習があると書かれていました。 この「ヒガカマウ」とは「狒狒が構う」という言葉が変化したものかなと、勝手に想像してみたりしています。 <<関連エントリー>> 狒狒-野里住吉神社- 岡太神社 場所:兵庫県西宮市小松南町2-2-8
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