大東市の住道近くで妖怪小豆洗いの話が伝わっているのを見つけましたので紹介します。
[6回]
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恩智川は南から北流して市域に入り、御供田の通称「久太の橋(現在の御供田新橋辺り)」から西流する。昔、この川が北流する部分の両岸は竹薮が続き、その周りは田圃ばかりだった。
そして西流する部分、即ち、御供田村の北側沿いには古堤街道が通り、現在の如く家が立ち並ぶ。この川筋の所々にヒナラ(洗い場)があった。ところが、不思議と御供田・八幡さんの裏側にあったヒナラだけに、妖怪・「小豆洗い」がでたと云う。
往時の恩智川は、あくまで澄んで、ムラ人は飲料水・生活用水等の全てをまかなっていた。ある日の夕方、一人のムラのおかみさんが、ヒナラへ洗い物に行った。
いつものように川は流れ、何ら変ったことがない。陽気な彼女は唄を口ずさみ、洗い物をしていた。すると、何処からとなく「サラサラッ、サラサラッ」、という音が聞こえて来る。「何の音やろ」、と思いながら辺りを見た。しかし、附近には誰もおらず、変ったことはない。翌日の夕方、同じように洗い物に来ると、また前日と同じような音が聞えだした。やはり辺りには誰もいない。「気のせいだろう」、と思いそのまま洗い物を続け、家に帰った。
彼女は、「あんな、ヒナラへ洗いもんに行ったら、サラサラッ・サラサラッ、と変な音聞こえんねんでェ」、と近所のおかみさん連中に話した。「あんたも聞いたんかァ。わても聞いたわァ」、「わてもや」、と同じことを云いだした。そこで、彼女達は、「ほんなら、いっぺんいっしょに行こか」、と云うことになった。
「今日は、どうやろう」、と思いながらヒナラへ行くと、やっぱり聞こえる。「サラサラッ・サラサラッ」、おかみさん達は用事もそこそこに、家に戻ってしまった。それ以来、ムラ中でその話が話題になった。
「そんなアホな話あるかァ、気のせいじゃ」と、云って男達は笑うだけだった。そんなら、あんたら一遍行ってんかァ、ということになった。いわれた男達は、早速翌日のタ方、ヒナラヘ行って見た。なんと、女達が云っていたように、「サラサラッ、サラサラッ」と音がする。「おかしいなァ」、といいながら辺りを見たが、やっぱり何も変ったことがない。
この正体不明の音が、ちょうど小豆を洗うような音だったので、いつしかこれは「小豆洗いの仕業だ」、となった。それ以来、夕方そのヒナラへ行くのが怖くなり、誰も近づかなくなった、と云う。また、子供が遅くまで氏神さんの境内で遊んでいたら、「小豆洗いにさらわれるでェ」、と脅かされ、大人も夜は急な用事がない限り、その端を通らなくなった、と云う。
この現象は、今から五十年程前まで続いていた。しかし、古老の中には、「あれはなァ、木の上で川うそが体を震わして、砂を落しとったんや」とか、「ムササビが木の上で砂を落していた」等、語る人が今もおられる。しかし、この人達も、この川うそ・ムササビを「実際に見たことはない」、と云う。
この小豆洗いの話が伝承されるヒナラも、恩智川付替と共に姿を消した。
普段は憩いの場として、 降雨の時には雨水一時貯留施設として 水害の防止に貢献しています。
この近辺の恩智川
恩智川にかかる橋から伝承の地を望む
八幡神社が見えます。
鉄道高架下の辺りに恩智川があります。
恩智川(御供田地区)雨水貯留施設の説明
この事例では、説明体系として「小豆洗い」という妖怪が用いられる過程が良く分かります。
現在では比較的若い木しか植樹されていませんが、昔は比較的大きな木もあったのでしょうか。
この事例では、人に砂粒や砂利が当たらないので兵庫県から奈良県にかけて散見される「砂かけ婆」と認識されなかったのでしょう。
恩智川(御供田地区)雨水貯留施設
場所:大阪府大東市御供田2-3-20