民話「落ちてきた竜」の伝承地、その三箇所目、龍間寺跡を紹介いたします。
[2回]
「落ちてきた竜」の民話の概要については、
竜-権現滝-
を見ていただければと思います。
ここは民話の語るところの、引き裂かれた若い竜の腹が落ちてきた場所である、とされている場所です。
とは言うものの、事前に調べてみたところ既に寺はなく、その跡が残されているだけとの事。
大体の場所を調べた上で現地へ向かいます。
で、現地に来たのはよいものの、見つけることが出来ずに彷徨ってしまいます。
とはいえ近くにきているのは間違いないようで、目に入った龍間神社に入ってみます。
手水社で清めます
水を貯める所は天然石を使用しており、非常に良い感じ。
階段を上っていきます
途中にあった案内板
村社 龍間神社
(北河内郡四条村大字龍間字前田)
龍間前田にあり本社に天忍穂耳命が末社に大日霊貴、天児屋根、中筒男命が祀られている。
由緒は不詳明治五年村社に列せられる。
お神楽堂、氏子控え室があり、八王宮と呼ばれている。元禄五年寺社改め帳には龍間村八王子と記載され開基年歴相知り申さずと。境内に天然氷記念の石灯籠、正面入口左横におかげ灯篭がある
残念ながら、今回の民話とは関係のない様子。
ただ、祭神からうかがい知る事は出来ませんが、「八王宮」「龍間村八王子」という呼び方には引っかかるものを感じます。
王子といえば熊野権現が頭に浮かびますが、祭神には名前が挙がっていません。
奈良に「八王子神社」という神社があるそうですが、そちらの扁額には「八王宮」と書かれているそうです。
何らかの繋がりがあるものなのでしょうか?
しかし、奈良の八王子神社の祭神は「八王子ノ大神」とされているようで、こちらも祭神からの繋がりを見ることは出来ません。
或いは八王とは八大竜王を指していたものかもしれません。
となれば、今回探索している「龍間寺」の守護として位置づけられていたのかも、と想像を膨らませてみます。
(左) 説明書きにあった氏子控え室でしょうか?珍しい造りですね。
(右) 社殿
ここはここで良かったのですが、目的とする龍間寺跡に関する手がかりはありませんでした。
そこでネットで場所を書いてあったサイト自体は覚えていたので、現地で携帯電話を使用して再度確認し、現地へ向かいます。
目印はこの「一石二段六地蔵菩薩立像」
現地案内板
市指定文化財=第五号=
一石二段六地蔵菩薩立像
当地蔵は、幅八十六センチ・高さ百四十八センチの舟型石に、平均身丈四十六センチ大の地蔵尊が六体半肉彫されている。別石の六地蔵はよく見かけるが、一石六地蔵は稀である。北河内では二基を見出すに過ぎない。
六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるのが六地蔵である。当地蔵の場合、上段右より施無畏印を結ぶ地蔵が餓鬼道、中の宝珠を持つ人間道、左は幡を持つ畜生道、下段右より錫杖を持つ地獄道、中は合掌の阿修羅道、左は香炉を抱いた天上道を示している。なお、正面には、「永禄十年丁卯二月二十三日」「奉造立六地蔵六斉念佛之供養一結衆五十五人敬白」とある。このことから、永禄十(1567)年二月二十三日の六斉日に、六斉念佛の講衆五十五人が自分達と先祖の供養のために建立したものであろう。
昭和五十八年
大東市教育委員会
阪奈道路から小さな道を入ってきて、この「一石二段六地蔵菩薩立像」のある所を左に入っていくと、目的地である「龍間寺跡」に行くことが出来るようです。
これがその道ですが、案内も何もありません。
道の突き当たりにある、この階段をあがっていくと・・・
探していた「龍間寺跡」に辿り着くことが出来ました。
境内の様子ですが、いくらか人の手が入っている様子が見られ、集落の中で掃除をされている方がいらっしゃるようです。
とは言うものの、由来などを知っているから落ち着いて拝見させていただくことも出来ましたが、何も予備知識がなければ、怖がりの黒猫にはあまりお近づきになりたくない雰囲気になってしまっていました。
この場所も人の手が入らなくなると、あまり時間をかけないうちに何もなくなってしまうのかも知れません。
現在の姿でも画像に残せている、と考えると趣味でやっているだけのこの趣味の伝承地めぐりも何らかの意義を持たせることが出来るのかな、と考えてしまいます。
龍間寺跡
場所:大阪府大東市龍間
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